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熊野の自然と歴史と文化を味わう

ここは、広い意味での熊野の中心地です

車社会の現在、車利用で熊野全域を始めとして、大峰、大台ヶ原、吉野、明日香、高野山、白浜、そして、奈良、京都、大阪、伊勢から名古屋まで、日帰り往復が可能という中心点に位置します。ここを足場にして、散策を検討すれば実に豊かなプラン、夢が描けます。
熊野の自然と歴史と文化を味わうには、何日も時間をかければかけるほど、その豊かさがより深く味わえると思います。
熊野の自然には神が宿るといわれてきました。熊野の歴史は、その時々の権力者のあり方と係わり方と、熊野の住民の生き様の交差で綴られていると思います。自然の歴史が熊野の文化を育てました。
多様なポイントがあります。その一つ一つを
訪ぬれば語りかけてくるものを掴むことが、楽しみだと思います。


野古道の「伊勢路」の完全踏破を

熊野古道、伊勢路は庶民の道としてありました。5〜6日かけてが、当時の一般的な日程だったようです。「古道」は当時の生活道路でした。現在では、いくつかの峠や山越えが当時の姿のままで存在しています。古道の復活、再生のために努力された地域の人々の努力に本当に感謝です。これらをつないで全行程を辿ることは意義あると思います。熊野古道をそのようにして体験すれば往時の人々の息吹が感じれるのではないでしょうか、
ここを足場にして、ポイント的に日帰り往復を繰り返すことで、伊勢路の完全踏破が実現できると思います。5日程の時間をかければ可能です。
伊勢路だけでなく、中辺路や、大峰奥駆けにも挑戦できます。熊野三山の神社も一日で日帰り往復が可能です。往時は「善根宿」が人々を迎えました。「現代版・善根宿」を目指しています。

注 「旅籠」 これは、現代的にはホテル・旅館
 「木賃宿」これは、現代的には、ビジネスホテル

「善根宿」は、巡礼者専用宿としてあった


           

           

           

          

          

          



   「伊勢路の峠道」歩きは、車の代行サービス、バス、列車を上手く利用すれば、5日も、あれば、完全に歩き通せます。
   紀伊山地には日本を代表する霊場、熊野三山、高野山、吉野・大峰があり、昔から人々に心の安らぎを与える場所として尊ばれてきました。この三つの霊場を結ぶ参詣道が、紀伊半島に広く残っており、
   代表される参詣道としては紀伊半島を西回りにする「紀伊路」と東回りの「伊勢路」があります。
   紀伊路は、平安中期から鎌倉期の法皇や上皇らの御幸路、江戸時代以降盛んに歩くようになった伊勢路は、お伊勢参りを終えた旅人たちが、「熊野三山」や「西国33カ所詣」でために巡った庶民の道と言われています。江戸中期には、年間1万5千から、2万人が歩きました。
   石畳の道や、史跡、石仏、今も残されている、人々と神々による幾多の伝説・・・。道中目のあたりに出来る大自然の景観が、私達の中に古(いにしえ)の心をよみがえらせてくれるでしょう。
          
         →それぞれの登り口まで車で、
             ☆つづらと峠、荷坂峠へは、1時間半
             ☆馬越峠へは、35分、
             ☆八鬼山へは、30分
             ☆波田須・松本峠へは、15分
             ☆浜街道・花の窟へは、20分
         →熊野三山へは
             ☆新宮速玉大社まで、1時間
             ☆那智大社まで、1時間半
             ☆熊野本宮大社まで、1時間半
    
      →「熊野古道ー中辺路の入り口までは、車で2時間半です 

  
   
歴史を尋ね歩きませんか


       →波田須
          ここは、「徐福伝説の地」です。
                             
     


波田須・徐福の宮

今から2200年以上前のこと、日本ではまだ、縄文時代から、弥生時代に移る時期で、熊野の海岸に中国の船団が到来したと言われます。船団の団長が徐福。
徐福は、秦の始皇帝に「不老長寿の仙薬」を、求めて渡海することを上申し、(司馬遷の「史記」「童男女3千人と五穀の種、百工」を、始皇帝は派遣。
徐福が上陸したとされる地が、ここ波田須です。徐福を祀る「徐福の宮」があり、徐福が伝えとされる焼き物「釜所」や、貨幣が残されています。
徐福が伝えたされるものは、「医薬学」「造船技術」「捕鯨術」「製鉄」「農・産業」「窯業」などなどと言われている。

                  

→花の窟
             
             お綱かけ神事               浜に出て、お綱を引く
         

「日本書紀」に伝わるイザナミノミコトが葬られたと言われている御陵。ご神体は巨岩。かっての自然崇拝の姿を伝える場所。年二回、10月と、2月に、ご神体の巨岩に架ける「お綱かけの神事」がある。

→赤木城跡
天正年間、藤堂高虎が築城したと言われている平山城、築城当時の原型を残した城跡は、全国でも少なく貴重なものです。


         →紀和鉱山跡
            
                   

紀和地区の鉱山の歴史は、1200年以上も昔の奈良時代から始まり、奈良時代には鉱山で採れた銅は奈良の大仏建設に供出されたと言われている。
昭和9年石原産業により、紀州鉱山が始まり、昭和53年まで、44年間。年間2000トン以上の銅を産出してきた。鉱山最盛期の昭和40年前後は、年間3000トンの産銅量。
紀和地区には、今も、鉱山が栄えていた頃の痕跡が至る所に残っています。

→丸山千枚田
高低差約100bの中に、1340枚の水田が並ぶ日本最大規模の棚田。400年ほど前には2240枚もあったとされていますが、その後、530枚にまで減少。平成6年に旧紀和町が制定した「丸山千枚田条例」により、復田が図られています。 


          →新宮市
            明治の「大逆事件犠牲者の跡」を訪ねる。

          →歴史資料を求めて、
             
          熊野古道センター               熊野市歴史民俗資料館
    
    温泉巡りを      

         ☆ 奈良・下北山村 「きなりの湯」。  車で30分
         
         ☆ 和歌山・北山村 「奥瀞温泉」。   車で30分
         
         ☆ 熊野市紀和町  「湯ノ口温泉」=源泉掛け流し。 車で40分
         
         ☆ 和歌山・本宮   「湯之峰」、「渡瀬」 「川湯」の各温泉、車で1時間半


     山、川

         ☆ 熊野市内、最高峰 保色山 1000b
         ☆ 大台ヶ原、大杉谷、大峰連山の各登り口まで、車で二時間。
         ☆ 北山川での、筏流し、ラフテングの乗り口まで、車で30分。

     
 熊野大花火大会  8/17

          300年の伝統を誇る紀州路最大の夏の風物詩、約10,000発の花火。

       四季折々の花見ポイントが無数、梅祭り、桜祭り、紅葉祭りは、あちこちで楽しめます。
       
        11/23は、育生町・大森神社で、「どぶろく祭り」があります。